志村けんさんってどんな人?ドリフターズの1員 コメディアン

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2020年3月23日に新型コロナウイルスの陽性がでて、集中治療室でウイルスと戦っていた志村けんさんが、3月29日午後11時10分に病院内で亡くなられました。
70歳でした。
ご冥福をお祈りいたします。

現在の若い人たちは志村けんさんがどんな人なのか知らない人がたくさんいると思います。
親世代が子供のころによくテレビで志村けんさんを見ていました。
若い世代にも志村けんさんがどんなことをされていた人だったのか知ってほしいと思い、過去の経歴などを紹介いたします。

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志村けんさんの本名と家族

志村けんさんは芸名です。
本名は「志村 康徳」(しむら やすのり)です。
1950年2月20日生まれ。70歳になったばかりだったのですね。
小学校教諭だった父、憲司さんと母、和子さんの三男として生まれました。
芸名の「けん」は父親からとったとのことです。
二人の兄は大学を卒業して公務員になっています。
父はけんさんが中学生のときに死去、母は96歳で死去されています。

志村けんさんがいたドリフターズ

ドリフターズは、お笑い集団というわけではなく、音楽バンドでコントバンドとして活動していました。
テレビで昔のドリフターズを紹介するときは、コントバンドとしてはなくTV番組でコントを披露する「お笑い集団」として紹介されています。
もともとは音楽バンドで、1966年にビートルズが日本公演をおこなったときの前座を務めています。
メンバーは入れ替わりが激しく、当時のバンドでは移籍文化で珍しいものではありません。
初期のメンバーでは坂本九さんや小野ヤスシさんもいました。
荒井注さんもメンバーでした。
志村けんさんはいかりや長介さんの家に直接うかがってドリフターズに弟子入りしました。
裏方として働き、加藤茶さんの付き人を2回(1回脱走しています)しました。
志村けんさんがメンバーとして加入したのは、荒井注さんが脱退した後の1974年4月1日。
担当の楽器はギターでした。
ドリフターズはバンドで音楽をコピーバンドとして活動するより、TV番組でコントを披露することのほうがおおくなりました。
そこで「8時だヨ!全員集合」です。
40代の人にとっては小学生自体はテレビにかじりついた時期ではないのでしょうか。
著者のけいこも毎週見てました!

8時だヨ!全員集合で転機

いかりや長介さんの「8時だヨ!」の掛け声で始まる超人気番組です。
小学校のときどんなTVをみてたかというと、「8時だヨ!全員集合」はかかせません。

TBS制作の公開バラエティ番組で、基本生放送でした。
各地の劇場・ホールで公開生放送が行われていて、生放送ならではのトラブルもありました。(電灯がつかず真っ暗で開始など)

志村けんさんが出ていたコーナー「少年少女合唱隊」で「東村山音頭」を歌い、これが大人気になりました。
東村山は志村けんさんの故郷です。
この歌で東村山の知名度が上がりました。

付き人をしていた加藤茶さんとのコンビで「ヒゲダンス」。
こちらもコーナーでとても人気がありました。
投げたリンゴがナイフにささったときはTVの前で拍手したものです。

そして、童話「七つの子」の替え歌「カラスの勝手でしょ~♪」は志村けんさんが歌っていたのです。
すごく耳にのこっていて、本当の童話の歌詞がでてこないくらいです。

志村けんさんの冠番組

現在では「天才!志村どうぶつ園」「志村でナイト」がありますが、1985年に全員集合が終わった後の1986年に「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」がスタートしました。
志村けんさんと加藤茶さんの冠番組です。
ファミコンのゲームにもなりました。
いまでも続く冠番組といえば「志村けんのだいじょうぶだぁ」と「志村けんのバカ殿様」です。
その中で、「変なおじさん」もでてきました。
このころからドリフターズとは離れた活動になってきました。

志村けんさんの人柄

志村けんさんの人柄はとても良いといわれています。
結婚はしていません。
数多くの女性芸能人とのうわさはありましたが、結婚までいたっていません。
亡くなった母親が「孫の顔を見るまでは死ねない」と言っていて、それに対して志村さんは「じゃぁ結婚しない。長生きしてほしいから」(うろ覚えですがこんな感じのことをテレビ番組でおっしゃってた記憶があります)と言っていました。
そして母親は「一番のファン」と公言していました。
良い人柄が、新型コロナウイルスが陽性と公表されていろんな方の応援メッセージでもわかると思います。

志村けんさんのキャラクター

志村けんさんが扮するキャラクターベスト3があります。

・バカ殿様
・変なおじさん
・ひとみ婆さん

志村けんさんが若手のときは老人役が多かったそうです。
実はそのしぐさや行動などは、父親が交通事故の後、脳内出血によって記憶喪失になったとき、物事の判断がほどんとできなくなった、その時期の父親をモデルにしたそうです。

バカ殿さまも変なおじさんも、いまの子供たちも笑うキャラクターですね。

 

まとめ

まだまだ書ききれないくらいの功績を残された志村けんさん。
残念ながら70歳で肺炎のため亡くなりました。
晩年は毎日ガールズバーなどで飲み歩いている姿が確認されています。
志村けんさん主演の映画が決まったばかりで、非常に残念です。

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